6の巻~『言ってはいけない残酷すぎる真実』
今回はタイトルからして強烈な
『言ってはいけない残酷すぎる真実』著:橘 玲
の感想を記載しようと思う。
◆なぜこの本を選んだか
「結構なことが遺伝で決まってるから、残念だけど受け入れて」
身も蓋もないが、この本の要旨を一言でまとめるとこうなるだろう。
ただし著者はこれを悲観的にはとらえていない。
たとえば上記のことを受け入れれば、適性がないのにも拘わらず努力を続け苦しんでいる人を救うことができる。
自分がどんな病気にかかりやすいか知っていればそれに対する予防もできる。
感情的にもやもやするところはあるものの、この著者の考え方には同意できるところがあるため、この本を手にしてその主張を一度受け入れてみることにしたのである。
◆内容についてのざっくり感想
最初は遺伝と努力の関係について触れている。
結論だけを先にいうならば、論理的推論能力の遺伝率は68%、一般知能(IQ)の遺伝率は77%だ
この遺伝率の意味するところを直感的にとらえるは中々難しい。
身長が遺伝の影響を強く受けていることに関しては、皆が異論のないところであろうと思うが、身長の遺伝率は66%であるらしい。
よって身長の遺伝率をベンチマークとすることでイメージはつかみやすくなるだろう。
さまざまな研究を総合して推計された統合失調症の遺伝率は双極性障害(躁うつ病)と並んできわめて高く、80%を超えている(統合失調症が82%、双極性障害が83%)
残念ながら精神疾患は、身長以上に遺伝の要素が強い。うつ病の発症には、「幸福のホルモン」であるセロトニンの伝達が大きくかかわっており、この伝達の役割を果たす、トランスポーター遺伝子は、セロトニンを伝達しやすいものとしにくいものがある。つまり幸福をより感じやすい両親からはそのような子供が生まれ、逆もしかりということである。
引き続いて、「見た目」の効力についての説明に移る。
これについては、
無表情および自然体の状態で写真を撮り、それを第三者(以下引用で被験者)に見せた時、どの程度性格を当てられるか
という実験を行い、その結果をもって以下のように説明されている。
無表情の写真からも内面をある程度知ることができる・・・(中略)・・・被験者になにを手がかりにしたのか訊くと、「健康的な外見」「こざっぱりした外見」とのこたえが返ってきた。髪型やファッションは性格を反映するのだ。
自然体の写真では推測の精度が上がると同時に、無表情の写真で判別できなかった性格も見分けられた。「外向性」「親しみやすさ」「自尊心」などで手がかりになったのは、圧倒的に笑顔だ。
興味深いのは、写真からでは判別できないものもあったことだ。それは「誠実さ」「穏やかさ」「政治的見解」だ。
この結果は写真に限ぎらず、対面の場合でも応用できるだろう。
「外向性」「親しみやすさ」「自尊心」の判定は、見た目の直感がかなりあてになり、「誠実さ」「穏やかさ」「政治的見解」の判定においては、直感を信じるのはあまり良くないということだ。
そして知性は見た目とどうリンクするのかという話題が続く。
知性は会話を聞かなくても、外見から推測できることがわかった。研究者は知性を表わす手がかりとして、視線と美しい顔立ちを挙げている。
話しているときに相手の目を見る人は、知的な印象を与えるばかりか、実際に知能が高い。
「美しい顔立ち」というのはいわゆる美男美女のことではなく、(中略)「端正な顔立ち」とか、「整った顔立ち」というほうが正確かもしれない。
人の目を見て話すことで、知性的な印象を与えることが可能らしい。
男性については、攻撃性がテストステロンというホルモンによって左右されることを前提に、そのテストステロンが外見にどのような影響を与えるのかということが説明されている。
人差し指と薬指の長さのちがいは、テストステロン値が高いほど大きくなる。
同様の特徴が、顔の長さと幅の比率についても観察されている。テストステロンの濃度が高い男性ほど顔の幅が広くなり、攻撃的な性格が強くなるのだ。
ちなみに攻撃的な性格であることは必ずしも悪いことではない。
(多少強引なので)リーダシップに優れる・営業力が強いなどのメリットがある。
そして最後はいわゆる遺伝でない「育ち」の部分について言及されている。
これについては、核家族化が進む前の時代では、乳児期間を過ぎた子供は両親でなく、各コミュニティにおける年齢上位の子供たちによって面倒をみられていたということを前提に下記の論を展開する。
子どもにとって死活的に重要なのは、親との会話ではなく、(自分の面倒を見てくれるはずの)年上の子どもたちとのコミュニケーションだ。
勉強だけでなく、遊びでもファッションでも、子ども集団のルールが家庭でのしつけと衝突した場合、子どもが親のいうことをきくことはぜったいにない。
そしてそのコミュニティでの友達関係が元々持っていた遺伝、つまり才能の覚醒に大きな役割を果たすとしている。
子どもは、自分と似た子どもに引き寄せられる。一卵性双生児は同一の遺伝子を持っているのだから、別々の家庭で育ったとしても、同じような友だち関係をつくり、同じような役割を選択する可能性が高いだろう。
最初はわずかな遺伝的適性の差しかないとしても、友だち関係のなかでそのちがいが増幅され、ちょっとした偶然で子どもの人生の経路は大きく分かれていくのだ。
子どもは自分のキャラ(役割)を子ども集団のなかで選択する。
上記のキャラというのは、才能の相対化も含む。
子供はそのコミュニティの中で自身が他人より得意な分野を見つけ出し、その分野を伸ばそうとする傾向がある。
逆にいえば、遺伝的に特定の優れた才能を持っている子であっても、周りの子のほとんどが同様の才能を保持し開花させていた場合、その特定の優れた才能はそのコミュニティ内では優れたものでなくなってしまうので、その才能を伸ばすことにはなりづらい。
そして特定のコミュニティに属することは、敵対するコミュニティの得意分野を避ける形で成長しやすい。
アイデンティティというのは集団(共同体)への帰属意識のことだ。
ここで問題なのは、無意識のうちに集団を人格化し、敵対するグループとはまったく異なる性格(キャラ)を持たせようとすることだ。
親のいちばんの役割は、子どもの持っている才能の芽を摘まないような環境を与えることだ。
上記については、学力の高い学校とそうでない学校という比較の例で説明されていた。
いわゆる進学校においては、周りの皆が勉強することが普通であり、勉強ができることでいじめられるといったことはない。
逆にあまり勉学について熱心でない学校においては、進学校に対抗するアイデンティティとして、勉強がかっこ悪いというキャラ(役割)を演じるようになる。その結果、さらに勉強ができなくなるというループにはまるということになる。
その他、様々な興味深い事例が展開されていたが、あまりビジネスに関係なさそうであったので紹介事例は上記にとどめておく。
◆どう実生活に反映させていくか
本書は、筆者が学術的論文を引用して構成しており、一応科学的根拠があるものとなっている。
内容が内容であるので、一次ソースである論文を確認せずに鵜呑みにするのは、やや危険なところもあるが、筆者個人の主張ではない、論文の引用の部分は正しいということを前提に考察をすすめたいと思う。
ビジネスの場面の利用方法で一番真っ先に思いつくのは、採用の場面であろう。たとえば精神疾患の発症において遺伝的要素が高いのであれば、家族の疾患歴を聞くことで、精神疾患リスクのある応募者をかなりの確率で排除できるだろう。
しかし、このように採用段階で家族に関する質問をすることは現行の採用活動においては制限がされている。
(3)採用選考時に配慮すべき事項
次のaやbのような適性と能力に関係がない事項を応募用紙等に記載させたり面接で尋ねて把握することや、cを実施することは、就職差別につながるおそれがあります。
<a.本人に責任のない事項の把握>
・本籍・出生地に関すること (注:「戸籍謄(抄)本」や本籍が記載された「住民票(写し)」を提出させることはこれに該当します)
・家族に関すること(職業、続柄、健康、地位、学歴、収入、資産など)(注:家族の仕事の有無・職種・勤務先などや家族構成はこれに該当します)
・住宅状況に関すること(間取り、部屋数、住宅の種類、近郊の施設など)
・生活環境・家庭環境などに関すること
<b.本来自由であるべき事項(思想信条にかかわること)の把握>
・宗教に関すること
・支持政党に関すること
・人生観、生活信条に関すること
・尊敬する人物に関すること
・思想に関すること
・購読新聞・雑誌・愛読書などに関すること
<c.採用選考の方法>
・身元調査などの実施 (注:「現住所の略図」は生活環境などを把握したり身元調査につながる可能性があります)
・合理的・客観的に必要性が認められない採用選考時の健康診断の実施
出典:公正な採用選考について 厚生労働省
一方で、ちなみに日本においては、各企業においてどのような人物を採用するかについては、かなり広範に認められており、下記のような判例も存在する。
企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない
出典:三菱樹脂事件 最大 判 昭和44年12月12日
一方で健康にかかわることを採用段階で聞くことは、「その目的について本人の同意を得ない」もしくは「職業上の必要性がない場合」には認められないようである。
(国民金融公庫事件(東京地裁平成15年6月20日)の判決より)
よって、精神疾患の罹患状況を聞くことが許されるかは、本人の同意を得て、それが職業上の必要性がある場合に限られるわけだが、この「職業上の必要性がある場合」がどの程度許されるかは、インターネット上の専門家の意見を見る限りだと意見がわかれているようである。
事前にアンケートで精神疾患歴を調査し、後で嘘が判明したら懲戒解雇できると主張している専門家もいた。
ただし仮に直接アンケートで精神疾患歴を確認することに法的にアウトだとしても、これについては抜け道がかなりあるような気がする。たとえば一見関係のない質問をぶつけて、精神疾患のリスクの高い者を選別する方法はあるだろう。
前回・前々回と統計学の話を取り上げたが、実は統計学がやばいのはこのようにも使えてしまうからである。
たとえば、直接的に精神疾患に関する質問はしないが、一見関係ない質問を多くぶつけて、精神疾患の経験者とその他の経験者の回答に統計的有意のある質問を見つけ出す。
そして、その質問への回答を採用時の義務とする。
前回のブログに記載したように、適性判断と称して、性格診断のようなテストをやっている企業はあるので、少し質問を混ぜても、おそらくは応募者にはばれないだろう。
僕が人事コンサルタント会社を経営していたら、このような選考フォームをつくって企業に売り込むことを真っ先に実行するだろう。おそらくかなりの需要があるはずだ。
もしかしたら僕が知らないだけで既に世間に出まわっているのかもしれない。
この差別の問題と統計的有意の関係は非常に難しい。
例えば、おそらく見た目が美しい女性の集団とそうでない女性の集団の両方に営業をやってもらった場合、おそらく見た目が美しい女性の集団の売り上げは高くなり、それは統計的に優位にでてしまうだろう。
一方で、このように科学的根拠があるからといって、採用時にそれを堂々と押し出すことは、世間からは好意的には見られない。
なので多くの企業は公言せず、裏の採用基準としてこのような基準を持つことになる。
そして表の偽りの平等に踊らされて、元々遺伝的に不利な人が無駄な努力を強いられる・・・
人材コンサル会社はこのような「表には出せないけど、利益をあげる人材の基準」というものをもっていたりするのであろうか。ぜひともぶっちゃけトークを聞いてみたいものである。
その他、この書籍で印象に残ったのは、コミュニティに関する部分だろうか。
多くの人は大人になってしまえば、コミュニティに合わせてあからさまに、キャラをつくりにいくということはしないと思うが、コミュニティの他のメンバーの特性を埋め合わせる形で自身の能力を伸ばしていくというのは、多少なりともあるだろう。
そして皆が働かない会社にいて、一人だけ頑張って働くことで、いじめられてしまうということもあるのかもしれない・・・
やはり環境は大切である。
◆その他
話がやや逸れて、採用に関する法規制への言及のほうにいってしまった。
一方で、就職採用の場面は社会において最も本音と建前が衝突している場面と言っても過言ではないだろう。
残酷なことではあるが、みんなの本音を受け止めてそれを利用するというタフさを持つためには本書は非常に有益な本であったといえる。