kyuinn’s diary

読書感想を個人的につづるブログです。

6の巻~『言ってはいけない残酷すぎる真実』

今回はタイトルからして強烈な

『言ってはいけない残酷すぎる真実』著:橘 玲 

の感想を記載しようと思う。   

 

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

 

   

◆なぜこの本を選んだか

 「結構なことが遺伝で決まってるから、残念だけど受け入れて」

 

身も蓋もないが、この本の要旨を一言でまとめるとこうなるだろう。

 

ただし著者はこれを悲観的にはとらえていない。

たとえば上記のことを受け入れれば、適性がないのにも拘わらず努力を続け苦しんでいる人を救うことができる。

自分がどんな病気にかかりやすいか知っていればそれに対する予防もできる。

 

感情的にもやもやするところはあるものの、この著者の考え方には同意できるところがあるため、この本を手にしてその主張を一度受け入れてみることにしたのである。

 

◆内容についてのざっくり感想

最初は遺伝と努力の関係について触れている。

結論だけを先にいうならば、論理的推論能力の遺伝率は68%、一般知能(IQ)の遺伝率は77%だ

 

この遺伝率の意味するところを直感的にとらえるは中々難しい。

身長が遺伝の影響を強く受けていることに関しては、皆が異論のないところであろうと思うが、身長の遺伝率は66%であるらしい。

よって身長の遺伝率をベンチマークとすることでイメージはつかみやすくなるだろう。

  

さまざまな研究を総合して推計された統合失調症の遺伝率は双極性障害躁うつ病)と並んできわめて高く、80%を超えている(統合失調症が82%、双極性障害が83%)

 

残念ながら精神疾患は、身長以上に遺伝の要素が強い。うつ病の発症には、「幸福のホルモン」であるセロトニンの伝達が大きくかかわっており、この伝達の役割を果たす、トランスポーター遺伝子は、セロトニンを伝達しやすいものとしにくいものがある。つまり幸福をより感じやすい両親からはそのような子供が生まれ、逆もしかりということである。

 

引き続いて、「見た目」の効力についての説明に移る。

これについては、

無表情および自然体の状態で写真を撮り、それを第三者(以下引用で被験者)に見せた時、どの程度性格を当てられるか

という実験を行い、その結果をもって以下のように説明されている。

 

無表情の写真からも内面をある程度知ることができる・・・(中略)・・・被験者になにを手がかりにしたのか訊くと、「健康的な外見」「こざっぱりした外見」とのこたえが返ってきた。髪型やファッションは性格を反映するのだ。

 

自然体の写真では推測の精度が上がると同時に、無表情の写真で判別できなかった性格も見分けられた。「外向性」「親しみやすさ」「自尊心」などで手がかりになったのは、圧倒的に笑顔だ。

 

興味深いのは、写真からでは判別できないものもあったことだ。それは「誠実さ」「穏やかさ」「政治的見解」だ。

  

この結果は写真に限ぎらず、対面の場合でも応用できるだろう。
「外向性」「親しみやすさ」「自尊心」の判定は、見た目の直感がかなりあてになり、「誠実さ」「穏やかさ」「政治的見解」の判定においては、直感を信じるのはあまり良くないということだ。

 

そして知性は見た目とどうリンクするのかという話題が続く。

知性は会話を聞かなくても、外見から推測できることがわかった。研究者は知性を表わす手がかりとして、視線と美しい顔立ちを挙げている。

 

話しているときに相手の目を見る人は、知的な印象を与えるばかりか、実際に知能が高い。

 

「美しい顔立ち」というのはいわゆる美男美女のことではなく、(中略)「端正な顔立ち」とか、「整った顔立ち」というほうが正確かもしれない。

 

 人の目を見て話すことで、知性的な印象を与えることが可能らしい。

 

 

男性については、攻撃性がテストステロンというホルモンによって左右されることを前提に、そのテストステロンが外見にどのような影響を与えるのかということが説明されている。

 

人差し指と薬指の長さのちがいは、テストステロン値が高いほど大きくなる。

 

同様の特徴が、顔の長さと幅の比率についても観察されている。テストステロンの濃度が高い男性ほど顔の幅が広くなり、攻撃的な性格が強くなるのだ。

  

ちなみに攻撃的な性格であることは必ずしも悪いことではない。

(多少強引なので)リーダシップに優れる・営業力が強いなどのメリットがある。

 

 

そして最後はいわゆる遺伝でない「育ち」の部分について言及されている。

 

これについては、核家族化が進む前の時代では、乳児期間を過ぎた子供は両親でなく、各コミュニティにおける年齢上位の子供たちによって面倒をみられていたということを前提に下記の論を展開する。

 

子どもにとって死活的に重要なのは、親との会話ではなく、(自分の面倒を見てくれるはずの)年上の子どもたちとのコミュニケーションだ。

 

勉強だけでなく、遊びでもファッションでも、子ども集団のルールが家庭でのしつけと衝突した場合、子どもが親のいうことをきくことはぜったいにない。

 

そしてそのコミュニティでの友達関係が元々持っていた遺伝、つまり才能の覚醒に大きな役割を果たすとしている。

 

子どもは、自分と似た子どもに引き寄せられる。一卵性双生児は同一の遺伝子を持っているのだから、別々の家庭で育ったとしても、同じような友だち関係をつくり、同じような役割を選択する可能性が高いだろう。

 

最初はわずかな遺伝的適性の差しかないとしても、友だち関係のなかでそのちがいが増幅され、ちょっとした偶然で子どもの人生の経路は大きく分かれていくのだ。

 

子どもは自分のキャラ(役割)を子ども集団のなかで選択する。

 

 

上記のキャラというのは、才能の相対化も含む。

子供はそのコミュニティの中で自身が他人より得意な分野を見つけ出し、その分野を伸ばそうとする傾向がある。

逆にいえば、遺伝的に特定の優れた才能を持っている子であっても、周りの子のほとんどが同様の才能を保持し開花させていた場合、その特定の優れた才能はそのコミュニティ内では優れたものでなくなってしまうので、その才能を伸ばすことにはなりづらい。

 

 

そして特定のコミュニティに属することは、敵対するコミュニティの得意分野を避ける形で成長しやすい。

 

アイデンティティというのは集団(共同体)への帰属意識のことだ。

 

ここで問題なのは、無意識のうちに集団を人格化し、敵対するグループとはまったく異なる性格(キャラ)を持たせようとすることだ。

 

親のいちばんの役割は、子どもの持っている才能の芽を摘まないような環境を与えることだ。

 

上記については、学力の高い学校とそうでない学校という比較の例で説明されていた。

いわゆる進学校においては、周りの皆が勉強することが普通であり、勉強ができることでいじめられるといったことはない。

逆にあまり勉学について熱心でない学校においては、進学校に対抗するアイデンティティとして、勉強がかっこ悪いというキャラ(役割)を演じるようになる。その結果、さらに勉強ができなくなるというループにはまるということになる。

  

その他、様々な興味深い事例が展開されていたが、あまりビジネスに関係なさそうであったので紹介事例は上記にとどめておく。

 

◆どう実生活に反映させていくか

本書は、筆者が学術的論文を引用して構成しており、一応科学的根拠があるものとなっている。

内容が内容であるので、一次ソースである論文を確認せずに鵜呑みにするのは、やや危険なところもあるが、筆者個人の主張ではない、論文の引用の部分は正しいということを前提に考察をすすめたいと思う。

 

ビジネスの場面の利用方法で一番真っ先に思いつくのは、採用の場面であろう。たとえば精神疾患の発症において遺伝的要素が高いのであれば、家族の疾患歴を聞くことで、精神疾患リスクのある応募者をかなりの確率で排除できるだろう。

しかし、このように採用段階で家族に関する質問をすることは現行の採用活動においては制限がされている。

  

(3)採用選考時に配慮すべき事項

次のaやbのような適性と能力に関係がない事項を応募用紙等に記載させたり面接で尋ねて把握することや、cを実施することは、就職差別につながるおそれがあります。

a.本人に責任のない事項の把握>

・本籍・出生地に関すること (注:「戸籍謄(抄)本」や本籍が記載された「住民票(写し)」を提出させることはこれに該当します)

・家族に関すること(職業、続柄、健康、地位、学歴、収入、資産など)(注:家族の仕事の有無・職種・勤務先などや家族構成はこれに該当します)

・住宅状況に関すること(間取り、部屋数、住宅の種類、近郊の施設など)

・生活環境・家庭環境などに関すること

b.本来自由であるべき事項(思想信条にかかわること)の把握>

・宗教に関すること

・支持政党に関すること

・人生観、生活信条に関すること

・尊敬する人物に関すること

・思想に関すること

労働組合学生運動など社会運動に関すること

・購読新聞・雑誌・愛読書などに関すること

c.採用選考の方法>

・身元調査などの実施 (注:「現住所の略図」は生活環境などを把握したり身元調査につながる可能性があります)

・合理的・客観的に必要性が認められない採用選考時の健康診断の実施

 

出典:公正な採用選考について 厚生労働省

 

一方で、ちなみに日本においては、各企業においてどのような人物を採用するかについては、かなり広範に認められており、下記のような判例も存在する。

 

企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない

 

出典:三菱樹脂事件 最大 判 昭和44年12月12日

 

 一方で健康にかかわることを採用段階で聞くことは、「その目的について本人の同意を得ない」もしくは「職業上の必要性がない場合」には認められないようである。

国民金融公庫事件(東京地裁平成15年6月20日)の判決より)

  

よって、精神疾患の罹患状況を聞くことが許されるかは、本人の同意を得て、それが職業上の必要性がある場合に限られるわけだが、この「職業上の必要性がある場合」がどの程度許されるかは、インターネット上の専門家の意見を見る限りだと意見がわかれているようである。

 

事前にアンケートで精神疾患歴を調査し、後で嘘が判明したら懲戒解雇できると主張している専門家もいた。

 

ただし仮に直接アンケートで精神疾患歴を確認することに法的にアウトだとしても、これについては抜け道がかなりあるような気がする。たとえば一見関係のない質問をぶつけて、精神疾患のリスクの高い者を選別する方法はあるだろう。

 

前回・前々回と統計学の話を取り上げたが、実は統計学がやばいのはこのようにも使えてしまうからである。

 

たとえば、直接的に精神疾患に関する質問はしないが、一見関係ない質問を多くぶつけて、精神疾患の経験者とその他の経験者の回答に統計的有意のある質問を見つけ出す。

 

そして、その質問への回答を採用時の義務とする。

 

前回のブログに記載したように、適性判断と称して、性格診断のようなテストをやっている企業はあるので、少し質問を混ぜても、おそらくは応募者にはばれないだろう。

 

僕が人事コンサルタント会社を経営していたら、このような選考フォームをつくって企業に売り込むことを真っ先に実行するだろう。おそらくかなりの需要があるはずだ。

もしかしたら僕が知らないだけで既に世間に出まわっているのかもしれない。

 

この差別の問題と統計的有意の関係は非常に難しい。

例えば、おそらく見た目が美しい女性の集団とそうでない女性の集団の両方に営業をやってもらった場合、おそらく見た目が美しい女性の集団の売り上げは高くなり、それは統計的に優位にでてしまうだろう。

一方で、このように科学的根拠があるからといって、採用時にそれを堂々と押し出すことは、世間からは好意的には見られない。

なので多くの企業は公言せず、裏の採用基準としてこのような基準を持つことになる。

 

そして表の偽りの平等に踊らされて、元々遺伝的に不利な人が無駄な努力を強いられる・・・

 

人材コンサル会社はこのような「表には出せないけど、利益をあげる人材の基準」というものをもっていたりするのであろうか。ぜひともぶっちゃけトークを聞いてみたいものである。

 

 

その他、この書籍で印象に残ったのは、コミュニティに関する部分だろうか。

多くの人は大人になってしまえば、コミュニティに合わせてあからさまに、キャラをつくりにいくということはしないと思うが、コミュニティの他のメンバーの特性を埋め合わせる形で自身の能力を伸ばしていくというのは、多少なりともあるだろう。

そして皆が働かない会社にいて、一人だけ頑張って働くことで、いじめられてしまうということもあるのかもしれない・・・

 

やはり環境は大切である。

 

◆その他

話がやや逸れて、採用に関する法規制への言及のほうにいってしまった。

一方で、就職採用の場面は社会において最も本音と建前が衝突している場面と言っても過言ではないだろう。

残酷なことではあるが、みんなの本音を受け止めてそれを利用するというタフさを持つためには本書は非常に有益な本であったといえる。

 

5の巻~『さあ才能に目覚めよう』

今回は前回に引き続き、「統計学が最強の学問である(実践編)」の後半部分について感想を書こうと思ったのだが、数学寄りの話がつづいて少々飽きてしまった。

なので気分を変えて、違うジャンルの本の感想を記したいと思う。

今回のお題は有名な

『さあ才能(自分)に目覚めよう』著:マーカス・バッキンガム / ドナルド・O・クリフトン 

である。

 

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

 

   

◆なぜこの本を選んだか

 僕は自己啓発本のジャンルに属する本は(今は)あまり読まない。なぜかというと過去に多く読んだ体験から、大して得るものがないという感想を持っているからだ(気分を一時的に高揚させる効果だけはある)。

この書籍についても、そちらのジャンルに属すると思っていたため、有名ではあるもののこれまでずっとスルーしてきた。

ただ一方で、自己啓発本の効用について僕と似たような所感を頂いているブロガーの人の何人かがこの書籍については強く薦めていたので少々気にはなっていた。

 

ところで最近の僕の悩みなのだが、本当に時間が足りない。おそらく物事の取捨選択がしきれてないからだろう。時間効率を最大限に重視して「やるべきこと」と「やらないこと」の境界線をはっきりさせることの重要性は、以前から知っていたことではあるが、最近はよりシビアに進めないとまずいと痛感している。

 

そしてその境界線をはっきりさせる上では、自分の価値を最大限に高めるようにするのが最も合理的である。

「やるべきこと」は自分の才能のあること、得意なことのほうがよいに決まっている。

自己啓発本に対する懐疑心を抱きながらもこの本を手に取ったのは、上記のような理由があったからである。

 

◆内容についてのざっくり感想

多くの自己啓発本が役に立たないと僕が思っているのは下記のような特性を持っているからである。

 

1、述べられている技術に俗人的なものが多く、汎用的に展開しづらい。

2、著者の感想でしかない、よって他の著者が矛盾することを述べてことがある。

3、背景となるビジネス環境が古い、昨今は世界規模でビジネスを展開していく必要があるのに、対日本人にしか通じないのではないかと思われる意見を展開している。

 

一方でこの書籍については、科学的な手法を用いて才能を分類するという手法が展開されており、客観的で納得のある言論となっていた。

よってこれは自己啓発本とは違うジャンルの本であるといえるだろう。僕は間違った決めつけをしていたようである。

 

 

まずこの書籍はなぜ個人が強みを自覚することが必要なのかを以下のように述べている。

 

1、人の才能は一人ひとり独自のものであり、永続的なものである。

2、成長の可能性を最も多く秘めているのは、一人ひとりが一番の強みとして持っている分野である。 

 

ここでいう強みとは以下のように定義される。

 

「強み」とはひとことで言ってしまえば、「常に完璧に近い成果を生み出す能力」のこと

 

また「強み」の特性、および「強み」を利用して強固な人生を築くのに大切な原則を以下のように述べている。

 

強みは首尾一貫することができて初めて、真の強みになるということだ。

安定性があってこそ成果も予見できる。

真の強みは真の満足感をもたらす。

満足のいく成果を得るには、自らの職務に関わるすべての業務に適した強みを持つ必要はない。

「弱点を無視しろ」とは言っているのではない。・・・(中略)・・・弱点とうまく折り合いをつけ、強みを解き放ち、より鋭いものにした。 

 

 そして真の「強み」は才能から生み出されるものであり、自分の現在の「強み」が以下の三つのどれに分類されるのか区別することが有用と述べている。なぜなら、知識と技術は他の人も容易に取得できるのであるから、強みの軸にはなりえないからである。

 

才能とは、無意識に繰り返される思考、感情、行動のパターンである。

知識とは、学習と経験によって知り得た真理と教訓である。

技術とは、行動のための手段である。

   

逆に、才能を上記のように定義したのは、脳のシナプスの特性と関係しているからである。

人間は脳の中に無数のシナプス結合をもっており、人によって得意な回路が異なる。そして繰り返されて使われるシナプス結合はより強くなるという特性をもつ。

したがって日々の行動の中で、自身のもつ得意なシナプス結合を可能な限り利用することが、「強み」の最も良い強化方法であると著者は考えている。

 

 

その才能であるが、本書籍では34に分類されており、20分程度のWEBテストで上位5つの才能を知ることができる。

僕の場合は以下の5つであった。

「学習欲」「達成欲」「収集欲」「最上志向」「親密性」

 

掻い摘んで各性質の特徴を述べると以下のとおりとなる。

 

「学習欲」

あなたはいつも「学ぶ」プロセスに心惹かれます。内容や結果よりもプロセスこそが、あなたにとって刺激的なのです。・・・(中略)・・・短期にたくさんの新しいことを学ぶことを求められ、そしてすぐにまた次の新しいプロジェクトに取り組んでいく必要のあるような職場環境で力を発揮します。

 

「達成欲」

あなたは自分自身に満足するために、一日が終わるまでに何か具体的なことを成し遂げなければなりません。・・・(中略)・・・長い時間燃え尽きることなく働くために必要なエネルギーを、あなたに与えてくれます。

 

「収集心」

あなたは知りたがり屋です。・・・(中略)・・・あなたはものや情報を手に入れ、集め、整理して保管し続けます。

 

「最上志向」

優秀であること、平均ではなく、これがあなたの基準です。・・・(中略)・・・あなたはあなたの強みを高く評価してくれる人たちと一緒に過ごすことを選びます。同じように、自分の強みを発見しそれを伸ばしてきたと思われる人たちに惹かれます。あなたは、あなたを型にはめて、弱点を克服させようとする人々を避ける傾向があります。

 

「親密性」

あなたはすでに知っている人々とより深い関係を結ぶ方向に引き寄せられます。・・・(中略)・・・あなたにとって人間関係は、それが本物であるときのみ価値を持ちます。そしてそれが本物であるかどうかを知る唯一の方法は、相手に身を委ねることです。

 

 

親密性に対しては、多少違和感もあるが他は概ね納得の結果である。他に「着想」や「戦略性」という才能があり、そちらも持っていると嬉しかったのであるが、とりあえずは素直に結果を受け入れることにしよう。

 

そして強みを築く上での障害には以下のものがあると述べている。

 

1、弱点に対する恐怖
→弱点を克服せずに放置しておくことに対する恐怖

2、失敗に対する恐怖
→得意分野を明言し、その分野で失敗してしまうことに対する恐怖

3、真の自分に対する恐怖
→これまでの成果についてそれが「強み」ではなく、偶然の産物によってもたらされたものなのではないかと思ってしまう恐怖

 

特に皆が気にしがちな弱点の取り扱いについては以下のように述べられている。

 

われわれは弱点とは「すぐれた成果を得るのに妨げとなるもの」と定義づけた。・・・(中略)・・・たいていの人は・・・(中略)・・・「進歩が望めない分野」という定義を支持するはずだ。・・・(中略)・・・現実に即して考えると、「進歩が望めない分野」はだれにでも数えきれないほどあるだろうが、その大半が気にしなくてもいいものばかりだからだ。そういった逆転はすぐれた成果を収める妨げにはならない。

 

弱点を抱えることがわかった場合、・・・(中略)・・・その弱点が技術に関する弱点か、知識に関する弱点か、才能に関する弱点かを見きわめる必要がある。

 

どうすれば自分に欠けているものが才能ではなく、技術や知識だとわかるのか。・・・(中略)・・・必要な知識と技術を身につけてもなお、標準以下の成果しか上げられなければ、あとはもう才能の欠如しか考えられない。

 

 

そして弱点が才能に基づくものであれば、以下の5つの策を試してみるとよいとしている。

 ①少しでも良くする、②サポートシステムをつくる、③才能の力で弱点に打ち勝つ、④パートナーを見つける、⑤とにかくやめてみる

 

そして今度は他人から見たときに、34の強みを持つ人それぞれにどのように接するべきかの記載があった。

逆言えば、自身をこのように取り扱っていくことで心地よい環境を構築できるということだろう。

 

「学習欲」を強みとする人の活かし方

・状況が刻々と変化する分野で、その変化に即応しなければならない職務を任せる。

・「販売の第一人者」や「部内の専門家」になることを促し、・・・

・同じ分野の第一人者のそばで仕事をさせ、・・・

・企業内の討論会やプレゼンテーションを取り仕切るように促す。

 

「達成欲」を強みとする人の活かし方

・臨時の仕事が発生したとき、この人に任せるといい。

・仕事のできない人と組ませてはいけない。「さぼり屋」はこの人の天敵だ。

・一つの仕事を終えたからと言って、休息や単純作業を与えることは、この人にとってねぎらいにはならない。

 

「収集心」を強みとする人の活かし方

・企業にとって重要な問題を調査させる。

・常に企業内のニュースを伝える。内情に通じていることに自分に満足を覚えるタイプだからだ。

・集めた情報を蓄積するシステムづくりを促す。

 

「最上志向」を強みとする人の活かし方

・失敗に終わったことをもう一度立て直すことには、あまり意欲を示さない。

・強みを企業の利益につなげるにはどの部署で、どういった業務にあたればいいか、本人とよく話し合うことだ。

・この人は自らの強みが活かされる道を無条件に選ぶ。収入は増えても強みが活かされない道を選ぶことはまずない。

・従業員一人ひとりの業績を評価し、それぞれに応じた賞与を与えるための査定プログラムが必要になったら、この人に任せるといい。各職務において優秀さとはどのように見えるものか、進んで考えてくれるだろう。

 

「親密性」を強みとする人の活かし方

・この人に好感を抱いているようなら、はっきりとことばにして伝えるといい。

・同僚一人ひとりの目標をこの人に伝えておく。そうすれば、この人はさらに強い絆を同僚と結ぶことができるようになるだろう。

・この人が持つ包容力も一つの武器だ。その包容力を見て、それがどれほど同僚たちに影響を与え、強い絆の一因となっているか、本人にもよく伝える。

 

ここから先の章では強みを生かした企業をつくるにはどうすればよいのか。人事制度に踏み込んだ提言がされていた。今回の僕の読書の目的からは外れるが非常に興味深かったので、以下に記載しようと思う。

 

まず原則として以下の四つを意識したシステム作りが大切だとする。

 

・個々の従業員を型にはめ込むのではなく、あくまで最終的な結果に重きを置くべきだ。

・適切な人材を確保するには、かなりの時間と資金を費やしてでも最初の採用で厳選しなければならない。

・研修にかける時間と資金は、従業員の弱点を矯正して、スキル・ギャップを埋めるのではなく、一人ひとりの強みを発掘し、それを伸ばすために費やすべきだ。

・強みを活かせない業務を与える可能性のある従来どおりの出世の階段にこだわることなく、従業員のキャリアパスを用意しなければならない。

  

そして人事システムの各段階で気をつけることは以下のとおりと述べている。

 

【採用】

・人の才能は、後から変えることができないという前提のもと、心理測定学的に信頼できる手法で事前に才能を図っておく

・各職務についてどのような才能がマッチするのか、各業務において最も優秀な人材を選んで観察し、それを採用にフィードバックしていく

・才能を表現する言葉を企業内で周知徹底する

・全企業の「資質プロフィール」をリストにする

・才能とそれが生む出す成果のとの関係を調べる

 

【育成】

・強みは三方向(対業務、対顧客、対従業員)に発揮されることを知る

・トレーニングに対して望ましい成果が得られたかを正しく測定する基準を定めること

・個々の従業員のパフォーマンス採点表をつくること、これは各業務における成功を定義する意味でも有効である

・従業員一人ひとりと強みについて話し合うこと。これは従業員の忠誠心を高める効果があるとともに、従業員が短期の目標を達成し続け、マネジャーがその成果に価値を与えることで緊張感を持続させるという効果ももつ

 

【キャリア開発】

・名声欲が人間にとっておそらく最も強力な動因だと認識する

・よって名声が得られるように組織をつくる、具体的にはヒエラルキーの段階を増やす、同じヒエラルキー内でも給与格差を設ける、表彰の機会を設ける等

・名声を得たい、各従業員が自分でも手が届くと思うような仕掛けをつくること

  

◆どう実生活に反映させていくか

冒頭に書いたとおりこの書籍に期待したのは、僕が持つ才能を明らかにしてそれを仕事に活かすことである。

結果は上記のとおりであったが、5つの才能をまとめた方策を練ると、以下のような感じになるのだろうか

 

1、特定の分野の第一人者となるべく、学習に取り組む
 →学習欲、収集心、最上志向の帰結

2、特定の物事に集中して長く取り組むより、ある程度の期間で新しいことに取り組ませたほうがよい。
 →学習欲、達成欲からの帰結

3、一緒に仕事をするメンバーを頻繁に変えるのではなく、ある程度固定したほうがよい
 →親密性からの帰結

 

どこまで信じていいのか難しいところであるが、少なくともこの手の種類の仕事に対してあまりストレスを感じないは間違いない。

とりあえずはこれを信じてこの一年間はやってみるのが良いのだろうか。

幸いなことに、学習欲の提言にあったとおり、社内社外講演の両方が今年はスケジューリングされているので、それを通じて自分の特性は測れそうである。

また自らの取り組みとして、自分の所属業界に関するリサーチを行ってそれをブログメディアで外部に発信していくということも、やってみたいと思う。

 

 

後半部分の組織作りの話も自分が人事政策をコントロールする立場になったら役に立つだろう。

このように科学的に才能を発見し、分類するという取り組みを一体どれだけの日本企業が行っているのだろうか。

おそらくほとんどの日本企業はやっていないのではないかと思う。僕は新卒採用時にそれなりに名の通った企業も受けたことがあるが、少なくともそこの企業では採用時に才能を分類するという取り組みはなかった。

これは日本企業が進んでいる劣っているの問題ではなく、日本企業はメンバーシップ型雇用を前提としているため、個々人の才能は採用後に判定し、適切な部署に配置することでリカバリーすればよいとの考えがあるからだろう。

 

逆に現在、自分は外資系の会社に所属しているのだが、多くの外資系企業では採用時に職務が固まることから、この書籍での提言内容と似た取り組みを行っている。前々から良い制度だと個人的には感心していたのだが、今回この書籍で理論的裏付けが取ることができた。

 

◆その他

先週の反省に拘わらず、またブログが長くなってしまった・・・

今回の書籍の内容にも関係があるが、これは僕の「収集心」に関係があるような気がする。

特に顕著なのが、この書籍の後半部分の組織作りの話題の取り上げ方についだ。上述のとおり、この内容は僕の今回の読書の目的からは外れている。

当初の目的にまっすぐにブログを書くのであれば、この内容は省略するべきである。そうすればブログを書く負担はおそらく減る。

一方でこのブログを僕の「収集心」を満たすための知識DBとして使おうと考えているのであれば、記載しておくべきだろう。

仕事であれば、余計な時間を割かないように前者のスタンスで取り組むのであるが、これは個人ブログだからなぁ・・・難しいところであるが、後者のスタンスで問題ない気はしている。第三者からみると、まとまりのない文章にみえて読みづらいのだろうけど。

4の1の巻~『統計学が最強の学問である(実践編)』

今回は前回のブログで紹介した「統計学が最強の学問である」の続編となる「統計学が最強の学問である(実践編)」著:西内啓 についての感想を記したいと思う。

 

統計学が最強の学問である[実践編]---データ分析のための思想と方法

統計学が最強の学問である[実践編]---データ分析のための思想と方法

 

 

◆なぜこの本を選んだか

 前回のブログで取り上げた『統計学が最強の学問である』は非常にクオリティが高く、私の持つ統計学への興味を大いに刺激するものであった。そうなれば続編にも手を出してしまうのが人の性というものである。


◆内容についてのざっくり感想

タイトルにふさわしく統計の実践に踏み込んだ内容で、非常に満足のいくものであった。

いつものように知識面でのまとめを最初に行いたいと思う。

 

まず最初に、筆者は「現状把握」の統計学と因果関係の「洞察」のための統計学を明確に区別し、統計学を「洞察」に使用するためには、以下の三つが必要であると説いている。

 ・平均値や割合など統計指標の本質的な意味の理解

・「データを点ではなく幅で捉える」という考え方

・「何の値を何事に集計すべきか」という考え方

 

僕は自分のキャリアのほとんどが管理畑であるため、分析という行為を行う機会が多いがそのほとんどが「現状把握」の分析(もどき)であり、ビジネスディシジョンに有用な「洞察」の分析を行ってきた記憶はほとんどない。恥ずかしい限りである。

 

次に少し細かい論点であるが、データを洞察するときになぜ「中央値」でなく「平均値」が最適なのかという説明が以下のようになされている。

 

左右非対称なバラつき方のデータの概略をつかむためには、平均値より中央値を使うほうがよいこともあるとすでに述べた通りである。だが、現状把握をしたいわけではなく、因果関係を洞察したい場合なら話は別だ。・・・・・それが(私注:平均値のこと)が集団の中心を正確に捉えていようがいまいが、一方のグループの売上が他方よりも高くなるのか低くなるのか、という判断に十分なものであれば良いのだ。

  

その他にも、平均値は中央値と異なり数学的に計算しやすいといった特徴を持つことや、中央値は集団の要素となる個々の数値の何個かに変化が生じた場合でも中央値そのものが変化しないことがあり扱いづらいといった特徴が挙げられていた。

 

そして統計学におけて忘れがちだが意識するべき重要な点として下記をあげている

 

「元のデータのバラつき方とその代表としての平均値」という考え方と、「元のデータのバラつき方とは関係ない、平均値自体のバラつき方」という考え方を区別すること

  

この記載は文字面だけを見ると非常にわかりづらい。要旨としては「洞察」の統計学においては、何かしらのビジネスの施策の効果の有無の判定が最も重要であり、その目的のためには、前者の「元のデータのバラつき」をケアする必要はほとんどなく、後者の「平均値自体のばらつき」=「平均値の収束具合」だけに注意を払えば良いということである。

 

 

そして核となる検定の考え方について、第1種の誤りと第2種の誤りという基本的な概念を説明したうえで下記のように説明している。

 

現実には比較しなければいけないグループ間の平均値のほとんどは、標準偏差二つ分も離れることはない・・・。(中略)そのため、標準偏差2つ分よりは小さいが現実的な意味があり、そして統計学有意な差を、最小限のデータからいかに見つけることができるか、すなわち検出力を大きくできるか、というのが統計学が大事にしているポイントである。

 

 「検出力」の正しい定義を忘れてしまったので、もう一度専門書で確認したが、「1-(第2種の誤り犯す確率)」、つまり対立仮説が正しいときにそれが採択される確率のことである。

 

また、標準偏差と標準誤差の意味は混同しやすいので備忘のために本書籍から記載を抜粋する。

 

複数のデータから求められた平均値のバラつき(標準誤差)は、必ず元のデータのバラつき(標準偏差)よりも小さいものになる。また求めるのに用いたデータの件数、すなわちサンプルサイズが増えれば増えるほど標準誤差は小さくなる。

  

その後は検定の考え方が続く。通常の正規分布を前提とする検定は、僕の中で既知であったので、ここでは記載しない。一方で平均値の差の検定であるZ検定は、詳細を忘れていたので、念のために記載しておこうと思う。

 

※Z検定は分散の加算性を利用し、比較対象とする2集団の平均値の分散を足し、2集団の平均値の差がその分散の和で変動するとみなす。仮定する分布は正規分布である。

  

その後はt検定の解説となる。Z検定よりt検定を優先的に使用すべき理由についてこの書籍は下記のように述べる。

 

理論上、分散の「真の値」とはデータの「真の平均値からのズレの2乗の平均値」である。ただし実際には「真の平均値」はわからないから、そのかわりに「データの平均値」との差の二乗を用いて計算される。(中略)このためデータが少なければ少ないほど、サンプルの分散は「真の分散」より小さめの値になってしまう

  

気になるのは、Z検定とt検定の境目となるサンプル数であるが、以下のように解説されている。

 

割合の形に集約する「ある状態を取るか否か」という二数変数は、・・・(中略)・・・ある程度少ないデータ数でも正規分布へ収束しやすい。そのため10件や20件しかデータがない、という状況でもなければz検定を使うことの妥当性をそれほど気にしなくてもよい。

  

クロス集計表を書いた場合に、そのセルにも10、最低でも5以上の数字が入る場合はz検定を行って問題ない、というのが慣例的な目安である。

  

これ以下のサンプル数の場合は、フィッシャーの正確検定を行うべきだとしている。フィッシャーの正確検定は分布による近似を用いず正確に確率を計算する手法のことである。二項分布であれば二項分布の確率関数を使用して、具体的に計算することになる。

 

まとめると以下のことを把握しておけば良いらしい。

 

・t検定とは数十件程度のデータでも正確にz検定を行なえるようにしたものであり、数百~数千件といったデータに対してはt検定とz検定の結果はよく一致する

・t検定はz検定と同様に「平均値の差」が「平均値の差の標準偏差」の何倍かを考えてそれがどれほど有り得ないかをp値を求めるものである。

・フィッシャーの正確検定は「組み合わせの数」を使って数十件程度のデータでも正確に割合の差に意味があるのかp値を求めるものである。

  

続いては、統計的な技法の話ではなく、現実的に発生しやすい3つ以上のグループの比較の話題となる。

 

これらの分析手法の一つとして、考えうる任意の2グループをひたすら抽出し、そのすべてでp値をとるという手法があるが、これについては筆者は推奨していない。

 

それは検定の多重性により、第1種の誤りを増大させることにつながるからである。よって、処方作としては以下の3つが提示されている。

 

・ボンフェローニ補正

→任意の2グループ間で使用するp値を「最終的な判断として使用したいp値÷検定を行う回数」とする。

 

・基準カテゴリーを1つ決めて、そこからの比較を行なう

→総当りの検定を避けるために、基準カテゴリーを決めてそことの比較のみを行なう。基準となるグループにはなるべく「ふつうのグループ」選ぶのがコツである。

 

・探索的なp値と検証的なp値を使いわける

→検定の多重性を無視し、とりあえずp値が特定の値以下のものを捜索し、その後のランダム化比較実験で有意かどうかを検証する。

 

 

そして次は回帰分析の解説である。本当に内容が濃いですね。この書籍は。

回帰分析は単純な手法でありながら仕事でもプライベートでも使う機会がなかったため、今後は積極的に活用したいと考えている手法である。

まず前提としてこれは説明変数が量的なときに使われる解析手法である。そしてその妥当性の判断として、標準誤差を考えるのはこれまでの手法と同様である。

 

回帰係数の標準誤差は「アウトカムの予測値と実際の値のズレの二乗の合計値をデータの件数で割ったもの(私注:「データの件数で割ったもの」ではなく、データの件数分足したものの間違いであると思われる)」である残差平方和を用いる。なお残差平方和をデータの数で割ったものは専門用語で残差平均平方または平均平方残差と呼ばれる。

  

 回帰係数の標準誤差=√(残差平方和/(説明変数の偏差平方和×データの件数))

 

上記の式でわかるとおり説明変数の偏差平方和(つまり説明変数のばらつき)も考慮しなくてはならない。また式から直感的に読み取れるように説明変数がばらついている方が同じ残差平方和でも標準誤差が小さくなる。イメージとしては、棒の中心に近い2点で支えるよりも、端に近い2点を持つ方が安定感がある、つまり誤差が小さくなるということだろうと思う。

 

説明変数が質的な場合でも「ダミー変数」を用いることで、回帰分析を適用することが可能である。

 

ダミー変数は慣例的に「1に該当するほうのカテゴリー名」で呼ぶので、男性が1で女性が0としたダミー変数なら「男性ダミー」、逆に女性が1で男性が0としたダミー変数なら「女性ダミー」と表現する。

  

(この後に、重回帰分析やロジスティック回帰などの説明が続くが、長くなったので次回のブログでとりあげる)

  

◆どう実生活に反映させていくか

前回のブログの導入部分で記載をしたが、近々に僕が講師となって初学者向けに統計学の講義を行う予定があり、本書の記載は十分にそれの参考になるものだったといえる。それだけでこの書籍は十分僕の実生活の役にたっているだろう。

 

一方で長期的な視点で、僕が統計学を適用したいと考えているのは、WEBのマーケティングに対してである。そしてこれは僕が社会人になってから統計学を学びはじめた理由の一つでもある。

 

対面営業のようなトークで落とすといったスタイルの営業を除いた、DM営業やWEBマーケティングは、統計学と著しく相性が良い。

 

前回のブログで学習したランダム化比較実験と今回の分析手法を使えば、かなり効率の良いマーケティング手法を確立することができるだろう。

 

例えば僕が過去営業部門の人から聞いた話で良くあったのが、以下のような報告だ。

 

「〇〇県の人はうちの商品に対する関心が高そうなので、○○県にラジオCMを流したところ、××件の契約が取れました。契約が十分取れたので今後も続けようと思います。」

 

これは報告としては良いと思うが、今後のアクションの洞察としては弱い。

なぜなら△△県にラジオCMを流しても同じ件数がとれるかもしれないからである。なので本当は△△県にラジオCMを流した結果と比較し、しかも件数でなくCV率で比較しないとコストパフォーマンスの評価はできない。

 

しかし一方で全都道府県にラジオCMを流して比較するのはコスト的に非常に難しい。

なので、僕であれば下記の手順で事を遂行したと思う。

 

ア、WEBもしくはDMを使用し、件ごとのCV率を比較する。

イ、アのCV率の差が統計学的に有意な意味を持つものなのか分析する。

ウ、イのCV率が高い県を有望顧客が多い県とみなす

エ、ラジオCMのコストとCV率の比をもって、もっともコストパフォーマンスが良い都道府県を算出する。ウでピックアップした県は特にコストパフォーマンスが高い可能性があるので、注目する。

 

県ごとのCV率に統計学有意な差がなければ、年齢でもよいし、グループ会社を利用しているかどうかといった切り口でもよい。それらを複数使って重回帰分析をしてみても良い。

そういう切り口で統計学を使いこなせれば非常に効率良く事業を展開できると思う。

 

◆その他

最近は仕事が忙しく、今回は久しぶりの更新となってしまった。週に1回の更新を目標としているので、今後はうまくキャッチアップしていきたいと思う。

一方で更新が遅れたことを「仕事の忙しさ」といった外的要因や「忍耐の無さ」といった精神的要因にのみ帰着するのは、あまり能がないので、まじめに一人反省会をして、対策を立ててみたいと思う。

 

更新が遅れた最大の理由は、ブログ更新の負担が重過ぎるせいである。これをさらに分解すると以下のようになるだろう。

 

1-①、ブログの記載量が多い。

これは対象書籍そのもののボリュームが多いという問題と、書籍の内容が濃いため得られる知見が多すぎてブログに書くのが大変という問題があるだろう。

 

この問題については、今後は3,000~4,000字を一回のブログの文字数の目安にしようと思う。

慣れてきたら時間を見ながら増やしていく予定ではあるが、楽に継続することを第一に少し抑え目にしていきたいと考えている。

 

1-②、文章を書く時間が遅い。

タイピングの速さの問題と、文章をまとめる思考の速さの二つの問題があると思う。

 

まず、素のタイピングの速さであるが、おそらくこれはほとんど障害になっていない。

久しぶりにタイピングソフトをこなしてみたが、一番上のスコアをコンスタントに出すことができる。

◆インターネットでタイピング練習e-typing

http://www.e-typing.ne.jp/

 

一方で、このブログでは書籍の内容を引用することが多いのでコピー&ペーストができれば、時間はかなり短縮できるはずである。Kindleの性質上、これは不可能ではないのかと私は頭から決めつけていたのだが実は可能らしい。

 

調べたところAmazon kindleのマイページに、私が書籍にハイライトした箇所がすべて同期される仕様となっていることが判明した。これはなんて便利なんだ!!!しかもkindle for PCというアプリを使用することで、PCでも書籍の閲覧が可能らしい。知らなかった・・・

 

何事も調べてみるものだと再認識した次第である。

 

文章をまとめる思考の速さは、まだ改善の余地はあるだろう。まとまった量の文章を書く機会から遠ざかっているため、最近は衰えてしまっている(元から大したものではないが)が、このブログを書く中で少しずつ早くなるのではないかと期待している。しばらくは自然体で伸ばしてみたいと思う。

 

その他にも

2、ブログのネタを集める段階での読書スピードが遅いという問題もあるだろう。

解決策としては、速読術を身に着けるといった方法も考えられるが、とりあえずは簡単にできるガジェットの改良に取り組みたい。現在はiPadを使用して読書を行っているのだが、CPUのせいなのかメモリのせいなのか書籍のロードに時間がかかることが多々ある。とりあえずはガジェットを最新化して時間ロスを最小限にしたい。

  

 

幸いにも仕事がそろそろ落ち着きそうなので、時間的な余裕は増えていくと思うが、少しでも効率化してうまくことを運んでいけたら良いと思う。

 

あと、最近アクセスがぼちぼちあるので、そろそろこのブログのアイコンやら著者の説明書きも整えないといけないような気がするが、調べると結構手間のようなので、気の向いたときにやるとしよう。

3の巻~『統計学が最強の学問である』他

今週は類似のタイトルをもつ二冊『統計学が最強の学問である』著:西内啓 と『リスク社会の羅針盤!すべては統計にまかせなさい』著:藤澤陽介 の感想を記したいと思う。

 

統計学が最強の学問である

統計学が最強の学問である

 

 

リスク社会の羅針盤! すべては統計にまかせなさい

リスク社会の羅針盤! すべては統計にまかせなさい

 

 

◆なぜこの本を選んだか

この2冊は共に、統計学の基礎を解説する書籍である。僕自身は統計学の基礎を学習した経験があったため、これまでこの書籍を進んで読もうとは思わなかった。ではなぜ今回この2冊を選んだか。

それはこの2冊の著者が統計学の初心者に対してどのような説明を行うのか、それを知りたかったからである。

諸事情があり、私が講師となって統計学の講義を行うという機会が近々設けられることとなったため、2著者の説明手法になんかしらのヒントを見出そうと考えたのである。

 

◆内容についてのざっくり感想

今回の2冊はタイトルこそ似通っているものの内容は全く異なると言って良い。

 

藤澤氏の『リスク社会の羅針盤!すべては統計にまかせなさい(以下、『羅針盤』)』がアクチュアリーという数理専門家の歴史や技術に焦点をあてているのに対して、西内氏の『統計学が最強の学問である(以下、『最強の学問』)』は統計学を俯瞰し、どのような場面で実学として役にたつのかを記載している。タイトルと内容がよりリンクしているのは『最強の学問』の方であり、『羅針盤』はタイトルと内容がややミスマッチしている印象がある。

 

◎『羅針盤』について

この本は、アクチュアリーという数理専門家がどのような歴史をもち、どのような仕事を行っているのかということを丁寧に記載している。内容は非常に興味深いのだが、今回の僕の読書目的(統計の専門家が、統計の基礎的技術を初心者にどのように説明しているのかを知る)からは外れており、残念ながら得られるものはあまり多くなかった。

統計学を学び、それを社会で生かしたいと考える学生がアクチュアリーという職を知るために読むにはかなりマッチしている本だと思う。逆に本書は一般の人を対象とした本としては内容が難しい、もしくはマニアックすぎる。

 

ただ枝葉の議論ではあったが、高校生の喫煙割合を調べるうえで、フェイクくじを混ぜることで、バイアスを減らすという手法は非常に参考になった。アンケートを取るうえで、どのようにして正直に回答してもらうかというのは大きな課題だと思うが、今回その手法の一つを知ることをできたのは非常に勉強になった。

 

 

◎『最強の学問』について

この書籍は統計学全般にスポットをあてており、僕の目的に合致するものであった。

またそれ以上にこの本は、僕に多くの新規知識を与えてくれる内容だったといってよい。繰り返しになるが僕は統計学については一通り学習しており、検定の手法なり、確率分布に対する知識といったものは持ち合わせている。

この書籍の良いところは、そういった解析手法ではなく、解析前のデータの集め方の方に焦点をあてていることだ。

難しい数式が登場しないため、初学者にもわかりやすい。一方で解析の手法だけは知っているという私のような者にも学びの多い書籍となっている。

 

著者は統計学を使ったデータ解析することで因果関係を無視した物事の洞察が可能となることのメリットを説く。それはつまりいろいろ悩んでるくらいなら、とりあえず行動に移し、その後正解を考えるというビジネス行動が有利であるということになる。

 

正解がないのであればとりあえずランダムに決めてしまう、という選択肢の価値はもっと認められるべきだろう。

  

これは本ブログの1の巻で取り上げた、『マーケット感覚を身につけよう』著:ちきりんの考え方と類似しているといえるだろう。彼女もとりあえずマーケットにきいてPDCAを回せばいいのではないかという考えの持ち主である。

 

次に昨今のビッグデータブームへの皮肉ともいえるサンプリング調査の有効性を説く。

これは標準誤差の数式より明らかである。サンプル数を増やしたところで正確性は大して改善しないのだ。それを無視した巨額のビッグデータ投資に対して、著者は下記のように切り捨てる。

 

ほんの1%やそこらの精度を改善することは、果たして数千万円も投資価値のあるクリティカルな影響を持つのだろうか?

  

莫大なビッグデータへの投資を防ぐ役割は、もしかしたら統計学の専門家の価値がもっとも発揮される場面なのかも知れない。

 

 そしてデータをビジネスに生かすための「三つの問」というお題がつづく。それについて著者は下記のように説く。

 

【問1】何かの要因が変化すれば利益は向上するのか。

【問2】そうした変化を起こすような行動は実際に可能なのか?

【問3】変化を起こす行動が可能だとしてそのコストは利益を上回るのか?

  

書かれていることは当たり前のことなのであるが、僕自身の普段の意識が足りないせいか、非常に印象に残った。

 

一方で統計をビジネスに生かすためには解析と同じくらいデータ収集も大事であるとしている。

 

統計学をある程度マスターすれば、「どのようにデータを解析するか」ということはわかる。だが、実際に研究や調査をしようとすれば、「どのようなデータを収集し解析するか」という点のほうが重要になる。

  

僕は理系の研究を行ったことがなく、また働くようになってからアンケート調査のようなものに携わったこともない。なので、データ収集について考えた経験に乏しいのであるが、おそらくこのようなことを考えずに多額の調査費用をかけている企業というのは多数存在するだろ。そのような担当者には耳の痛い話に違いない。

 

そしてデータの収集にあたっては、「フェアな比較」が重要であり、その手法として下記の二つを提示している。

 

「関連しそうな条件を考えうる限り継続的に追跡調査をし、統計学的な手法を用いて、少なくとも測定された条件については「フェアな比較」を行なうというもの

もう一つは解析ではなくデータの取り方の時点で「フェアに条件を揃える」というやり方である

  

前者は「層別解析」、後者は「ランダム化比較実験」が該当する。

その後はランダム化比較実験を持ち上げる記述がつづく。おそらく余計なことを考えずに利用できる手法ということで有用性が高いからであろう。

 

一方でランダム化比較実験には一定の壁があることも記載されている。

 

世の中にはランダム化を行うこと自体が不可能な場合、行うことが許されない場合、そして行うこと自体は本来何の問題もないはずだが、やると明らかに大損する場合、という3つの壁がある。1つ目の壁は「現実」、2つ目の壁は「倫理」、そして3つ目の壁のことを「感情」と呼ぶこともできるだろう。

  

個人の選択における場面では、現実の壁が一番大きいだろう。本当は結婚や就職といった人生のイベントにおいてもランダム化実験がおこなえればよいのであるが・・・ 

 

引き続いて回帰分析に対する言及がつづく。ここでは回帰分析によって得られた回帰係数自体にバラつきが存在していることに言及し、統計学の父であるフィッシャーは回帰分析を下記のように考えるべきだと主張したと説いている。

 

「無制限にデータを得れば、わかるはずの真に知りたい値」を真値と呼び、たまたま得られたデータから計算された統計量がどの程度の誤差で真値を推定しているかを数学的に整理することで、無限にデータを集めることなく適切な判断が下せる

  

その後は、ビジネスでも重宝される重回帰分析への言及である。重回帰分析が重宝されるのは、シンプソンのバラドックスに強く、層別解析を行わずに結果を分析できるからであり、それは重回帰分析が回帰係数を同時に推定するという特徴を持つからである。ただし、回帰係数には「変数間はお互い相乗効果のない状態、つまり交互作用が存在していないこと」が要求される。

 

重回帰分析は連続する結果変数を解析するのに適しているが、特定の値しかとらないような結果変数には、ロジスティック回帰が有効らしい。

 

もともと0か1かという二値の結果変数を変換し、連続的な変数として扱うことで重回帰分析を行えるようにした、というのがロジスティック回帰の大まかな考え方である。

 

ロジスティック回帰では、回帰係数はオッズ比(約何倍そうなりやすいか)で示す

  

最後は各種統計専門家のスタンスの違いを解説し、日本人は公開されている論文データベースをもっと活用し、科学的に物事を判断するべきだ、と警鐘を鳴らしている。

 

【その他、個人的に記しておきたい用語】

P値・・・実際には何の差もないのに誤差や偶然によってたまたま差が生じる確率

説明変数・・・どのような分析軸で比較するか

結果変数・・・どのような値で比較したいか

ダミー変数・・・本来数値でなものを「2つのグループ」あるいは「二値の変数」で表現するやり方

シンプソンのバラドックス・・・全集団同士での単純比較は、その内訳となる小集団同士との比較の結果と矛盾することもあるという命題

 

◆どう実生活に反映させていくか

サンプリング調査の考え方は日常の業務にも生かせるだろう。

僕は仕事柄、データを集計・計算することが多いのであるが、そのような業務では計算の正確さを検証する作業にも多大な時間がかかる。このような場面では、全件調査ではなく、サンプルチェックという形式で計算ロジックのチェックを行うのが有効なのではないかと感じた。

もちろん極度の正確性が要求されるような業務についてはこの限りではないが、「大局的に正確な結果が得られていれば、多少の誤差は目をつぶることができる」といった類の業務であれば、許容されるであろう。

一方で何件のサンプリングを行えば、〇〇%の信頼水準で正確性が担保されるといった信頼水準にまで落とし込んだ業務の捉え方は行ったことがないので、そのような考え方も面白いと思われる。

 

またビジネスの場面でアカデミックな研究を取り入れていくという示唆も勉強になった。著者のいうとおり、多くの問題が既にアカデミックで証明されているのであれば、ビジネスの場面における考えるという行為の多くは無駄となる。既に解の書かれている研究書物を探し出すことのほうが有効な戦略となってしまうからだ。

このブログも書籍を読んで、その知識を体得することが主目的であるが、個人的な体験に基づく再現性のない手法が書かれている書籍を読みあさるよりは学術研究を読んだほうがよっぽど効果があるという結論になるだろう。

本書籍で取り上げられている論文サイトを閲覧し、ブログでとりあげるということも考えてみたいと思う。 

◆その他

『最強の学問』からは多くの学びを得ることができた。この書籍は稀に見る名著であると私は感じている。多くの書籍の場合、中盤以降は似たような記載が繰り替えされ、得られるものが段々と少なくなっているのだが、この書籍ではそのような傾向も見受けられなかった。定期的に読み返して内容を余ることなく吸収したいと思う。

2の巻~『マンガでわかる線形代数』

一週間に一記事を目標としているので、2冊目の感想文を書こうと思う。
今週は『マンガでわかる線形代数』作者:高橋信、井上いろはトレンドプロ
である。 

マンガでわかる線形代数

マンガでわかる線形代数

 

 

 ◆なぜこの本を選んだか

線形代数
ずっとこの言葉がひっかかっていた。この学問は何を目指しているのか?ひたすら行列を解くだけじゃないか?そもそも線形ってなんだ?

 

 僕の大学での専攻は法律であって線形代数ではない。ただ教養教科として受講はしていた。数学は嫌いではなかったし、講義のおかげで行列の計算は問題なくこなせるようになったのだが、単なる計算演習を超えた複雑な問題を解くといったことはした記憶がない。なので、全く興味が持てないまま大学時代を終えることになった

 

その後、社会人になり、数式が多く登場する書籍を読むようになった。そのような書物の中には行列やベクトルといった表現が出てくることがある。

 

そのような中で、線形代数をもう一度基礎から学びなおさないとまずいなという思いを持つようになった。

 

ということで、今回はこれまでのもやもやを解決すべく、基礎的なこの本を選択することにしたわけである。

 

◆内容についてのざっくり感想

結論として、線形代数が実務的に役に立つケースは少ないらしい。 

一方で、線形代数とは「n次元のものをm次元に橋渡しする学問」であるという説明がなされていた。コンピュータグラフィックにおける行列の利用を具体例として扱っており、非常に理解がしやすかった。

 

この本の価値はどちらかと言えば、線形代数が実生活で役立つか否かという結論より、その過程に出てくる用語や概念の説明にあるといえるだろう。今回、私が新たに学習した内容(もしくは以前学習したかもしれないが忘れていたもの)は下記のとおりである。

 

◎集合・写像関係

【元】

→集合を構成する個々のもの。要素と呼ぶのは知っていたが、元とも言うんですね。

 

【X={n|n=1,2,3,4,5}】

→集合を表す記法。
ちなみにウィキペディアによると下記↓のような表現もあるらしい。

 

{x in X mid Q(x)}
これは、xが集合Xの元であり、かつ条件Q(x)を満たす集合らしい・・・ややこしい。
微分などもそうだと思うんだが、難しい数学になるほど記法が何通りも許されるようになっていて、初学者の壁になっていると思うのは僕だけだろうか。

写像

→集合Xを集合Yに変換するときの規則

 

【像】

写像により変換された後の数

 

【値域】

→特定の集合もしくは写像が取りうる範囲。

 

【定義域】

→特定の集合が取りうる値の範囲。特定の集合の値の範囲を表現するときには、値域と定義域両方の言葉を用いることがあるらしい?が、特定の写像fにより生成された像の値の範囲に言及する場合、それを定義域とは言わないらしい。その場合は、あくまで値域という。
よって、写像fにより、集合Xの元が集合Yの元に変換される場合、写像fの値域と集合Yの定義域が一致するとは限らない。

 

全射

写像fの値域が、像が属する集合Yの定義域と等しい場合、写像fを全射という。

 

単射

→集合Xの異なる元を写像fにより変換した場合、どの像の値も異なっていれば、写像fを単射という。

 

全単射

全射かつ単射を満たす写像のこと。この場合、写像fは逆写像をもつ。

 

◎行列

ここは既知のものがほとんどであったので割愛

 

◎ベクトル

僕がよく理解できていないだけなのかもしれないが、ベクトルという言葉も場面によって、いろいろな定義がされているような気がする。方向と大きさをもった量と解釈することもあれば、単純に行または列が1である行列を呼ぶときにも使われている。

以下はこの書籍の中でなされていた定義付け。

 

【Rn】

→n次元ベクトル(n×1行列)の集合。列ベクトルのみにRnが使われるような記載だったが、行ベクトルの集合はこのような記号で定義しないのだろうか。

 

【線形独立、線形従属】

→m種類のn次元ベクトルをそれぞれ任意にスカラー倍し、その和をもって0ベクトルを表現しようとした時に、スカラーの値の組み合わせが一通りしか存在しない場合、そのm種類のベクトルを線形独立であるという。そうでない場合は、線形従属。

 

【部分空間】

→Rmの部分集合であるWにおいて、
「1、Wの任意の元をスカラー倍したものもWの元である」
「2、Wの任意の元の和もWの元である」
の二つが満たされる場合に、WはRmの部分空間である。

 

【基底】

→部分空間Wのすべての元がn種類の線形独立なベクトルで表現できる場合、そのn種類のベクトルを部分空間Wの基底という。そしてnのことを部分空間Wの次元という。

 

【線形写像

→RnからRmへの写像において、
「1、Rnの任意の元の和の写像が、その任意の元をそれぞれ写像したのちに和をとったものと等しいこと」
「2、Rnの任意の元のスカラー倍の写像が、その任意の元の写像後のスカラー倍に等しいこと」

この二つが満たされる時、それを線形写像であるという。

 

固有値固有ベクトル

→Rnをn次正方行列でRnに写像する場合に、像が変換前のベクトルのスカラー倍となることがある。その場合に、そのスカラー固有値といい、変換前のベクトルを固有ベクトルという。

 

◆どう実生活に反映させていくか

内容が抽象的すぎて直接的に実生活に反映していくのは難しいだろう。一方で、各種数学記号・用語を整理できたのはよかった。

これからは数学関係の本を読む場面でも、いままでより容易に読むことができるようになるのではないかと期待しているが、こればかりは読んでみないとわからない。

 

◆その他

今回はまったく抽象的な話で用語列挙集みたいな感想になってしまった。過去に読んだ書籍の中で今回学んだ内容が生かせそうなものがあるので、改めてその場面で取り上げてみて、体得の度合を測りたいと思う。

1の巻~『マーケット感覚を身につけよう』

 さっそく一冊目の感想文を記載したいと思う。

一冊目は

『マーケット感覚を身につけよう』著:ちきりん

である。

 ◆なぜこの本を選んだか

著者のちきりん氏は、ネット界隈では有名であり、多くのファンを抱えている。僕もそのファンの一人だ。

以前からこの本を読みたいと思っていたのだが、都合がつかずなかなか実現できずにいた。

幸いにも、このたびブログを立ち上げるくらいには時間ができたので、第一号書籍として取り上げることとしたわけである。

 

◆内容についてのざっくり感想

まず序盤で著者は「マーケット感覚」という概念を導入し、ビジネスの場面においては「論理的思考」と同じくらい重要な手法として位置づけている。

特にここ数年、外資コンサルティング会社を中心に「論理的思考」の重要性が解かれており、MECEといった戦略フレームワークも随分知られるようになってきた。

僕自身もそのような本は何冊か読んだことがあったが、この本では「論理的思考」の限界を指摘したうえで、それを補完する考え方として「マーケット感覚」という概念を提起している。

 そういえば以前に、元DeNA社長の南場智子氏の『不格好経営』を読んだときに、
コンサルティング会社で学んだことは、ほとんど役にたたなかった」
といった記載があった気がする。 

不格好経営―チームDeNAの挑戦
 

 

これはコンサルティング会社では、ちきりん氏のいうマーケット感覚を学ぶ機会が欠如していたからなのだろうか。

おそらくそんなことはないのだろうが、コンサルティング会社が得意なフレームワークに当てはまりづらいため、目立った格好で外に出てこないためだろうと思われる。

本書を読んでみれば理解できるが、「マーケット感覚」は訓練によって上達できると著者は記しているものの、連想ゲームのような側面が強い。したがって画一的なフレームワークとするにはなかなか難しいのかもしれない。

 

次に、マーケット感覚がなぜ重要なのかの説明が続く。ここでの論旨において個人的に目新しい話はなかった気がする。詳しくは書かないが、要は「市場化が進んで・・・」ということだ。

一方で枝葉の部分の説明で面白い気づきがあった。著者はマーケット感覚を説明する過程で、日本のマーケットでは、消費市場と貯蓄市場という二つの市場の対立があると説明し、日本の貯蓄市場が消費市場と比較してマーケティング的な意味で大いに成功していると主張している。

そしてその原因を貯蓄市場の会社のマーケティングは

「貯蓄市場に金を引っ張ってくる → 貯蓄市場内で他の金融機関に勝つ」

という二段階の戦略フレームワークがしっかりできているからだと述べている。

自分は現在、貯蓄市場を構成する会社に属しているのだが、上記のようなマーケティング手法は身近すぎてこれまで違和感を持ったことはなかった。

確かに、貯蓄市場に対抗する消費市場がまず消費市場側に金を引っ張ってくるということを目的にキャンペーンを打っているのを見た記憶がない。

でも「先のことなんか心配しなくていいからじゃんじゃんお金を使おう!」のようなキャンペーンは直感的にはかなり難しい気がする。どうオブラートに包んで宣伝するかということが鍵になるのだろうか。

 

その後は、商品の真の価値に気づくことがマーケット感覚につながる第一歩であること、およびマーケット感覚をつけるために必要な五つの原則が説明される。

 

五つの原則として著者は以下を挙げている。

 

・プライシング能力を身につけること

・インセンティブシステムを理解すること

・市場に評価される方法を学ぶ

・失敗と成功の関係を理解する

・市場性の高い環境に身を置く

 

各項目の詳細な説明も割愛するが、もっとも印象にうけたことは「サービスの価値が一物一価」でないことに気づくということだ。これは「1、プライシング能力を身につけること」の中で説明されていた。

先に記載したとおり、商品の真の価値に気づくことがマーケティング感覚を身につけるうえでの第一歩であり、それは人によって異なる。よって最も高く買ってくれるのは誰なのかを考えたうえで、その者に販売していくことの重要性を著者は説いている。

 

そして最後は、マーケット感覚がなければ、いずれ淘汰されますよという説明につながる。ここも主要な論旨で特に異論はなかったが、やはり枝葉の部分で面白い説明があった。
 説明の中で、なぜ羽田空港の国際化が進んだのかというお題があり、その原因は仁川空港の利便化が進んだからだという説明がされていた。仁川空港がアジアのハブ空港として、急成長していることはよく知っていたが、それが羽田空港の国際化の原動力となっていたというのは、初耳であったため非常に興味深かった事実である。

 

◆どう実生活に反映させていくか

とりあえず著者の言うマーケット感覚を身に付ける五箇条、これを実践することがまずは大切であろう。そしてその実践はこのブログの目的の一つでもある。市場性の高いインターネットという環境で自分の文章を読んでもらう。これは自身に有用な機会につながると考えている。

 

一方で、このブログは他人に価値を提供することを主目的にかかれたものではない。誰のためでなく、僕自身の思考整理のためだ。そういう意味では市場とは正面と向き合ったツールではないと言えるだろう。

 

市場に対して価値を発信していくことを主目的としたツールは今後の研究課題としていこうと思う。

 

話を戻して、現在僕のおかれた立場でマーケット感覚に関する考察を行ってみたいと思う。

 

僕はサラリーマンである。
本書の内容に基づき、「価値のやりとり → お金の発生」という構図を考えてみると、おそらく僕の所属する会社および直属の上司が僕の提供する価値の享受者となっているといえるだろう。

 

著者は、近年では嗜好が細分化しており、各々の提供している商品の真の価値を深く考察することが非常に重要であると述べている。
さて僕から価値を受け取っている人は僕の提供しているもののどこに価値を感じているのだろうか。
これは非常に難しいが、僕自身のマーケット価値を判断する上で、有用な考察になるに違いない。

 

労働力としての自分の魅力を、ざっと挙げてみると以下のようになるだろうか。

1、(業界内では強力な)資格ホルダーであること

2、英語が少しできること

3、同一業界に所属するという一貫したキャリアをもち、業界の知識を持ち合わせていること

 

おそらく会社が僕を採用した時点では、上記の三つが価値を感じるポイントであったに違いない。

 

一方で僕としては、下記の二つについても価値提供できているポイントではないかと感じている。

4、管理部門のキャリアがほとんどでありながら、営業部門の攻めの姿勢も支援できるバランス感覚

5、(よっぽど癖のある人でない限り)うまく折り合いをつけながらやっていける調和姿勢

 

さてこれらは評価されているのであろうか。おそらくされてはいるだろうが、いわゆる表向きの人事評価では見えづらい部分である。

そして会社の外から見ただけでは、わかりづらく一緒に働いてみないと察知することができない。

 

このようなマーケットに対して、アピールしづらい能力について、どうやってマーケットに晒していくか。これはおそらく今後の課題になると思われる。

少々長くなったので、本件については、とりあえずここで打ち切って別の機会に再度、考察をしてみたいと思う。

  

◆おわりに

とりあえず記念すべき一冊目の感想を記載したが、いかんせん長い文章を書き慣れていないので大変であった。思考をまとめるのもそうであるが、ブログとして全世界に公開される以上、著作権もケアしながら文章を書かなければならない。このあたりは今後、読書感想文を書いていく上でこなれていくものだと、将来の自分に期待したいと思う。

 

0の巻~なぜ僕がブログを書こうと思ったか

最初のブログ記事なので、なぜ僕がブログ書き始めようと思ったのかその理由を記載したいと思う。

 

ざっと思いつく理由は以下の通りだ。

1、これまで世の中に発信するという体験が乏しかったため。

2、人が読みやすい文章を書けるようになりたいと思ったため。

3、知識のストレージとしてブログを活用したいと思ったため。

 

特に長年にわたり課題と考えてきたのは、3の問題である。

僕はそこそこ読書が好きで(といっても真の読書好きの方には及ばないが)以前は年に100冊くらいを読んでいた時期もあったのだが、それが本当に実生活に役に立っているのかということがずっと気になっていた。

 

読書の効果を実生活に反映するためには、知識を行動へと移すことが何より大切なことであるが、そもそもの問題として読書で得た知識が頭の中に残っているかということも土台として重要である。

 

実際、過去に読んだ本の内容はあまり思い出せない。読書で得た知識が定着していないせいだろう。

 

そこで、知識の定着の場として、ブログを活用したいと考えている。

従ってこのブログのメインの内容は僕の読んだ本のまとめとそれに対する僕の所感だ。

その他にも何か記載するかもしれないが、現在のところ、それは考えていない。

 

ブログを通じてみなさんと意見を交換できれば嬉しいと思うので、気になった点があればコメントを頂けると幸いである。